Crew7の打上げが延期になったのでヒマになった。前に書いたようにロケットの打上げの日程はありとあらゆる事情により延期になることがあるので、1日の延期というのは織り込み済みだ。今回は2回の延期まで耐えられるように旅程を組んでおいた。打上げ予定時刻が深夜なので、厳密には3回の延期までは対応可能だったことがあとでわかった。
予定日当日になって延期になる理由はさまざまだが多いのは天候不順。シャトルの場合は上昇の途中のあるタイミングでエンジントラブルがあった場合にTAL(Transoceanic Abort Landing)という大西洋をまたいで緊急着陸を行うケースが想定されていた。
シャトル30年の歴史で135回の打上げにおいてTALが発動したケースは実際には一度もないのだが、安全手順の一部なので無視するわけにはいかない。フロリダの天候が快晴なのにモロッコが砂嵐なのでScrub、なんていうケースは過去に何度もあった。
SpaceXがFalcon9の1段目を回収するようになった最初の頃は大西洋上に回収船を出していたので、回収予定地点の天候が悪ければやはりScrubになるケースがあった。ロケットの打上げ能力に余力がでてきて1段目をKSCまで戻すだけの燃料を確保できるようになってからはフロリダの天候だけで条件をクリアできるようになり、打上げの頻度もあがってきた。といってもそれまでは無人の衛星打上げにおけるKSC回収だったので、有人のCrew Dragonの打上げで1段目がKSCまで戻ってくるのはじつは今回が初めてとなる。
その他の当日延期理由としては、事前に設定された侵入禁止区域(NOTAM)にふらふらと迷い込んだセスナやヨットが制限時間内に退避しなかったケースなどもあると聞く。Nice Boat !
秒速8kmで地球を周回しているISSにドッキングするために打上げ可能なタイミングは毎日10分程度の短い時間に限られる。この時間帯のことを「ローンチ・ウィンドウ」という。運動会のクラス対抗リレーで走者が一周してきた時に次の走者がうまく助走してタイミングを合わせてからバトンタッチするようなイメージ。ウィンドウを外して打ち上げると、軌道変更のための燃料が足りなくなってドッキングは失敗する。ニュートンの運動方程式「 F = ma 」ね。
ISSの場合、ローンチ・ウィンドウは約24時間ごとに巡ってくる。厳密には毎日20分くらいづつ繰り上がっていく。26日に再設定されたCrew7の打上げ時刻は午前3時27分。今回の延期理由が機器のトラブルではなくペーパーワークなのであれば、明日はきっと大丈夫だろう。天気もよさそうだし。
打上げ延期でヒマになったので、何年か前に尻Pが紹介していた博物館を見に行こうと思いたった。名前を覚えていなかったので尻Pの日記を探したけれどうまく辿りつけなかったので、だいたいの場所をGoogleマップで表示してMuseumで検索したらビンゴ! やっぱりじぶんは名前よりも空間座標で物語を記憶するクセがあるな… [あとで調べてみたら、日記ではなくてツイートだったようだ。これとかこれとか。Twilogよ永遠なれ]
Best Westernをチェックアウトして荷物を車のトランクルームに入れて出発。10分ほどでTitusvilleの町中にあるAmerican Space Museumに着いた。
Wikipediaを見るとこの博物館からすこし北のインディアン川沿いにあるUS Space Walk of Fameというモニュメントを設立したのと同じ財団が運営しているらしい。市が1988年にインディアン川沿いの地域の再開発を計画した際に、Doyle E. Chastainというお医者さんが送った1通の手紙による提案がきっかけとなって財団が設立、市が1994年に区画整理したSpace View Parkの一角を財団に提供、まずマーキュリー計画のモニュメントが1995年に完成。続いて1997年にジェミニ計画、2009年にアポロ計画、2014年にスペースシャトルのモニュメントがそれぞれ完成。
いっぽうで博物館の完成は2001年。つまりモニュメント建設が先で博物館があと。ずいぶん年期の入った展示物がこれでもかとところ狭しと陳列されていたのでてっきり80年代あたりから運営されているのかと思ったけれど意外に新しかった。
Tripadvisorの評価を見ると「Unexpected Gem」「EVERY single staff member we interacted with were top-notch」など絶賛する言葉が並ぶ。Best Attractionsというサイトでは展示の内容やモニュメントの詳細を見ることができる。
入り口の横には運営に協力したChuck Jeffrey氏とJoseph A. William氏にささげるプレートが掲げられていた。
博物館内部の展示はマーキュリー、ジェミニ、アポロ、シャトル、女性宇宙飛行士、宇宙開発を支えるエンジニアたち、などのコーナーに分かれていて、それぞれ「なぜこんなものがこんなところに?!」とびっくりするようなメモラビリアばっかりだった。小さな博物館だけどじっくり見ようと思うとゆうに3時間はかかる。
たとえばマーキュリー計画当時の管制室の復元。本物のコンソールが並んでいて、ボランティアがメンテナンスしているので、当時と同じように打上げ時に点滅する状態が動態保存されている。
ボランティアの人にマンツーマンでガイドしてもらいながらいろんな展示をくいるように眺める。ジェミニ8号のスラスター制御装置の前でふと足が止まった。ジェミニ8号は1966年3月16日に打上げられ、アジェナ標的衛星とドッキングした。スプートニクやガガーリンの地球周回飛行以来、旧ソ連の後塵を拝してきたアメリカがついに旧ソ連を追い抜く技術を習得するという重要なミッションだった。乗員はニール・アームストロングとデイビッド・スコット。ところがドッキング後の姿勢制御中に異常回転が発生し、ドッキングを解除したあとにさらに回転が加速するという緊急事態となった。アームストロング船長は大気圏再突入システムを点火して船体の回転を止めることに成功、南大東島と小笠原諸島の中間付近の太平洋上に緊急着水した。
このジェミニ8号の緊急着水が当時幼稚園児だったじぶんが記憶している初めての宇宙飛行士に関わるニュースだ。アームストロング船長という名前はその時に漠然と記憶に残った。映画「ファースト・マン」でもこの時の緊急事態は描かれている。X線天文衛星「ひとみ」が空中分解したときも、このジェミニ8号の異常を思い出した。
この博物館ではその時ジェミニ8号が誤動作する原因となった制御装置が展示されていた。こんなところでお目にかかるとは。その話をボランティアの人に話すと同世代であることがわかって仲良くなった。彼のほうが2ヶ月だけお兄さん。
自分がJAXAの宇宙飛行士選抜ファイナリストでSatoshiの打上げを見にきたんだといったら盛り上がって受付のおばさんにその話を伝え、おばさんも盛り上がって奥の部屋にいたMarqという人を連れてきた。Marqはここの博物館でStay Curiousというビデオポッドキャストをいつも編集しているのだそうだ。対談用のクロマキーと照明を常設した使いやすそうなスタジオだ。ちょっと話しただけでもめっちゃ宇宙オタクだとわかる。Marqはとっておきだぞという感じで引き出しの中から1972年当時のスペースシャトルの青焼きを見せてくれた。ほえー。シャトルの最終形が固まって大統領が承認した頃の設計図か。
別のボランティアは子供たち向けの科学教室を担当していた。ここで学んだ子供たちがSTEMの道を歩んでいくのだろう。
いろいろな展示をたっぷり3時間ほど堪能してからSpace View ParkにあるSpace Walk of Fameに移動した。ここにはいろんな宇宙飛行士の手形や慰霊碑がある。
お腹が空いたので隣にあるBurger Kingで遅い昼食を食べて、今夜の宿のCourtyard by Marriottにチェックインした。