1日に2回のFalcon9夜間打上げを堪能したあとは再びUberに乗ってTitusvilleのDays Innに戻った。帰りのUberのドライバーは黒人の女性とその娘さんなのか若い女性が二人で乗っていた。セキュリティ対策なのかな?
たっぷり寝て起きて「オッペンハイマー」という映画を観にいこうと思い、昨日通りかかったシネコンでの上映時刻をチェックした。
11時15分か。まだ時間があるな。にしても上映時間3時間1分って長すぎないか?
そう、この映画を観ることがもう一つのミッション。原爆を作り上げたマンハッタン計画の中心人物だった物理学者オッペンハイマーと彼を計画の中心に据えた米陸軍准将のレズリー・グローブスのちに水爆開発推進の立役者となった原子力委員会委員長ルイス・ストローズ※との相剋を描いた物語だ。監督がクリストファー・ノーランと聞けば、面白くないはずがない。でも原爆がテーマなので日本での公開予定はいまのところないと聞く。今回の渡米がスクリーンで観る絶好のチャンスというわけ。
※ 記事初出時、映画の主要人物をとり違えていました。ご指摘くださった方ありがとうございます。
古川さんが乗るCrew DragonのISSドッキングのタイミングが近づいていたので、iPad miniでNASA TVをチェック。9時16分(日本時間22時16分)ドッキング!
昨日ピザを食べたモールまで車で15分。予約せずに来たので最前列と二列目のプレミアムシートしか空きがないという。しかたなく二列目の席を買ったけど4ドルだった。安っ!
電動リクライニングで寝そべってスクリーンをゆったり見上げることができたので、これはこれで快適だった。
にしても上映時間3時間1分って長すぎないか?
以下、ネタバレを含むのでこの映画(とインディ・ジョーンズ「クリスタル・スカルの王国」)をこれから見ようと思っている人はここで読むのを止めておいたほうがよいかも。といっても史実に沿ってストーリーが進行するので、知っている人は「それ知ってるよ」という楽しみ方もできる。
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マンハッタン計画がどういうものかについては松浦さんのこの記事の後半部分が詳しい。「え、松浦さんもこの映画を観るためにアメリカに来てたの??」と誤解するくらい詳細な解説が書かれている。つまり監督はマンハッタン計画の史実の人間的な部分をかなりうまくこの映画に取り込んでいる。
同時期に公開された「バービー」がSNS上で話題になり、この二つの映画をくっつけたファンアートがネットミームとして話題になっていて、あろうことかバービー公式のTwitter(𝕏)アカウントがそのネットミームに乗っかってしまうという事件があったのだけど、結局はバービー公式が謝罪するハメに陥っている。松浦さんの記事を読んでから「バービーも観ておくべき怪作だったのか」とちょっと後悔した。
閑話休題
マンハッタン計画はアインシュタインが「核分裂を利用した新型爆弾が開発できる可能性とドイツが先行して研究を進めている」という懸念を伝える手紙をルーズベルト大統領に向けて送ったことが始まりだと言われている。ただしこの手紙を書くよう提案したのは物理学者レオ・シラードで、彼の知名度をうまく利用したとも言われており、アインシュタインは晩年になってこの手紙に署名したことを後悔していると告白している。
映画ではルイス・ストローズがオッペンハイマーを計画の責任者としてスカウトし、その後、オッペンハイマーが池のほとりに立っていたアインシュタインと会話をする場面が最初のクライマックスといえる。軍に対して距離を置きたいアインシュタインがストローズをまるでそこにいないかのように無視して通り過ぎていくシーンが印象的だ。映画のために演出されたシーンかもしれないけれど、じつに象徴的に描かれている。
マンハッタン計画といえば子供の頃「アメリカはものすごい科学力を持っているので、総力をあげた国家プロジェクトを遂行することで極めて短期間で原子爆弾を造りあげることに成功した」という(日本は逆にそれができなかった)という倒錯したサクセスストーリーとして聞かされてきたような気がする。少なくともじぶんの世代ではどこかしら完全無欠の強大な敵国の国家プロジェクトという印象を植え付けられてきた(だれに?)ような気がしないでもない。それはある種の「だから日本は負けたんだよ」という諦念のルサンチマンを少し上の世代が持っていたからなのかもしれないし、GHQの巧妙なメディア戦略の成果だったのかもしれない。
成長するにつれてファインマンの伝記を読んだり他の物理学者たちが当時どのようなことを考えていたのかを断片的に読み進めていたので、計画の人間的な側面も少しずつ理解するようになってはきていた。けれど後年オークリッジ国立研究所を訪れたときに案内してくれた人が言葉の端々に込める「南部諸州がいかに北部の経済発展から取り残されてきたか」についての恨み節や、この研究所がマンハッタン計画でいかに重要な役割を果たしたのかを誇りに思っている様子などをみて、この物語は過去のものではなく現在進行形であることを身にしみて感じた。
映画はストローズとオッペンハイマーを取り巻く人間関係や葛藤を中心に描かれる。うっかりするとこの二人の活躍だけで原爆が完成したようにも感じられてしまう。が、もちろんそんなことはない。エドワード・テラーはじつにいけすかないやつとして描かれているし、ノイマン型コンピューターのフォン・ノイマンもちらりと登場する。実際にはこれらの天才たちが時にはぶつかりあい時には時にはわくわくとパズルでも解くように原爆設計に必要な理論的考察をすすめていく様子が「普通の人間として」描かれているのが印象的だった。
なにより砂漠のど真ん中にいきなり人工の街を作り上げて、ウラン濃縮を実行し、プルトニウムの爆縮のデリケートで巨大な計算量をこれらの天才たちが期限内に着々と進めていく様子にあらためて驚く。そう、当たり前のことだけれどマンハッタン計画は生身の人間が悩みながらぶつかりあいながら手探りで推し進めてきたプロジェクトなのだ。
インディ・ジョーンズ「クリスタル・スカルの王国」でなぜか主人公が人類史上初の原爆実験の試験場に紛れ込んで、冷蔵庫に飛び込んで難を逃れるというお笑いシーンがある。最初に見た時には「そんなわけあるかい!」とツッコミをいれたものだけれど、爆風の強さや放射線の強さがたまたま偶然生存可能な範囲におさまっていれば、生き延びる幸運もありうるのかもね、とあとになって思い直した。
あの爆発のスイッチを押したのがオッペンハイマーたちのグループだ。
史上初の核実験に成功した後の主人公たちの葛藤や相克がこの映画のクライマックスなのだが、それは実際に映画館やネット配信などで確かめてほしい。
これは間違いなくアメリカ人の側からみたアメリカ人の都合にあわせて鑑賞できるように構成された映画だ。クリストファー・ノーラン監督の代表作のひとつといってもいいと思う。オッペンハイマーの葛藤や悲劇もうまく伝わってくる。
でもこれを日本で上映したらヒットするか、といえば、炎上すらしないのではないかと思う。映画好きなマニアが名画座でひっそりと監督の名作を味わう、そんな映画になりそうな気がする。
マンハッタン計画という名前を今回初めて知った人はもちろん見ておいて損はない。アメリカとドイツ、そしてアメリカと日本が辿った悲劇の道を繰り返さないためには、そこで生きていた人々がなにを考えなにを感じ、どういう決断をくだしたのか。知っておいてほしいと思う。
個人的にはファインマンがあまり出てこなかったのが物足りなかったのと、アーネスト・ローレンスが実験屋としてカッコいい役回りで出てくるのにしびれた。ローレンスは親日派として知られ、日米関係に暗雲が立ち込め始めた頃に渡米した仁科芳雄博士(のちに帝国陸軍の原爆開発計画の責任者)や荒勝文策博士(のちに帝国海軍の原爆開発計画の責任者)との親交が厚く、バークレー放射線研究所で彼が作ったサイクロトロンの設計図を渡したことなどで知られる。戦後はGHQがサイクロトロンを勝手に東京湾や大阪湾や琵琶湖に沈めたことに抗議し、日本の原子核物理学の復興に尽力した。とはいえプルトニウム爆弾製造の功労者でもあるんだよね。
映画を観おわって外に出ると、フロリダの空はどこまでも青かった。
オッペンハイマーの原爆、テラーの水爆、そしてそれを運ぶためのミサイル開発と東西冷戦と宇宙開発競争。この空はあの戦争の時代とある一つの世界線でつながっている。そんなことを考えながら帰路についた。